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少女漫画資料室  

【米沢嘉博の仕事:暫定版】─少女漫画関係を中心に

版元別[掲載状況調べ]
少女漫画関係の仕事について色(thistle)を引いた。 ★現物所収、☆資料確認、無印は情報のみ

『迷宮』以前の同人活動アズ漫画研究会→詳細

北九州を中心とする地方サークル「アズ漫画研究会」。
肉筆回覧誌『アズ』、オフセット誌『あず』他に1967〜77年頃まで漫画作品を発表した。


肉筆回覧誌『アズ』

1967年創刊〜1975年19号(最終号)まで、年に2册(もしくは3册)のペースで20冊刊行された。
1970年に10号が『COM』(虫プロ商事)の「ぐらこん」同人誌賞佳作受賞
5号,10号〜13号,18号は行方不明で未確認だが
米沢氏は年代から推測して、7号(?)〜19号まで参加していると思われる。


1968年
7号
「イメージマシン」2ページ *15歳。最初の作品?

1968年末?
8号
「オータム オブ マイライフ」4ページ

1969年
5月5日発行
9号
「ハローハロー」8ページ 
*ビートルズが好きだった米沢さんらしい作品。

1971年
11月14日発行
14号
「米沢君バラエティー劇場」総20ページ 
    * 表紙には大学のキャンパスでギターを弾く長髪の美少年・米澤さん(モノクロ写真)
 1コマ、2コマ、3コマ、4コママンガが、カラーで各1ページずつ
 紙芝居風マンガ「宇宙人がやってきた」6ページ
 シリアス青春マンガ「群集の中の孤独」4ページ
 SFギャグマンガ「ある種の話」4ページ
 最後の1ページは、同人誌ならではの言い訳のような文字ページ

1972年?
15号
「爆発」8ページ(1971.12.14の制作記載)

1973年
1月20日発行
16号
「溶ける溶ける」9ページ(1972.8.26の制作記載)

1975年
19号
「無題」3ページ
(目次には「前略…にした」とある)
※最終号

データ更新2007/3/19、12/27(年号情報修正)
*詳細及び各コメントは全て「アズ漫画研究会」のもり・せ・いちるさんから。
*もり・せさんによれば、行方不明の6冊にも時代的に米沢作品が描かれていた可能性は高いとのこと。
*「あず漫画研究会40周年記念展」(2006年10/28〜11/12 会場:福岡県北九州市 海峡ドラマシップ2F)で、現存する資料が公開展示された。「もり・せ・いちる 画像倉庫」(http://www.kumados.com/)に掲載の アズ40周年記念 →「アズ漫画研究会からのお知らせ」をご参照ください。

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オフセット誌『あず』

肉筆回覧誌に替わり、1975年7月(創刊号)から発行。以降、12号(1997年,30周年記念号)まで。

1975年
7月20日発行
創刊号
「火竜が笑っている」8ページ(1972.5 →1975.5.15の制作記載)

1976年
7月1日発行
3号
「風につかまえられて」8ページ(1976.3.28の制作記載)
※『米澤嘉博に花束を』(2007年,虎馬書房)に収録された。

1977年
8月1日発行
5号
「バベルの塔のKの話し」8ページ(1977.11.3の制作記載/よねざわよしひろ名義)
※5号の編集は「陸奥A子」。特集:ワンダーランド 不思議の世界へ行こう!/別冊絵本付

1997年
10月発行
12号
「ニンジンランド再び」4ページ
(とうびいこんちにゅう…の記載)
※アズ30周年記念号

データ更新2007/3/19、12/27(年号情報修正、『米澤嘉博に花束を』情報追加)
*詳細は「アズ漫画研究会」のもり・せ・いちるさんから。
*「あず漫画研究会40周年記念展」(2006年10/28〜11/12 会場:福岡県北九州市 海峡ドラマシップ2F)で、現存する資料が公開展示された。「もり・せ・いちる 画像倉庫」(http://www.kumados.com/)に掲載の アズ40周年記念 →「アズ漫画研究会からのお知らせ」をご参照ください。
*5号の奥付、目次等はヤマダトモコさんから資料提供をいただきました。
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会報『あお』

掲載年不明
?号
「グロテスク」

掲載年不明
?号
「ニンジンランド」8ページ

データ最終更新2007/3/19
*詳細は全て「アズ漫画研究会」のもり・せ・いちるさんから。
*「グロテスク」は、後に“さわひろし”名義で編集発行した同人誌「グロッタ〜グロテスク・マガジン」の初出と推測(もり・せ・いちるさんより)。
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アズ漫画研究会について (文:「アズ漫画研究会」もり・せ・いちる)

◆「アズ漫画研究会」は、1966年10月に結成。現在も(細々と)地域に密着した活動をしている『COM』世代からの老舗同人グループです。当時中学2年生だった田中時彦(現在は童画家)を中心に、4名からのスタートでした。『COM』での会員募集、「ぐらこん」同人誌賞佳作受賞(1970年アズ10号)とともに大所帯化して、70年代には当時の漫研としては珍しく、中学生から30代までの幅広い年齢層の集団となっていました。

◆活動は、毎月の例会と作品制作・批評。
・肉筆回覧誌「アズ」…1968年創刊〜75年にオフセットに変わるまで…19号20册まで刊行
・オフセット誌「あず」…75年創刊〜97年12号(30周年記念号)まで刊行
その他に、
・機関誌(批評誌)「ほこら」…1968年創刊〜
・掌作品集「スーパーあお」1981年創刊〜1990年17号まで刊行
・会報の「あお」「ASOB」「ASOB通信」

その他の活動として、春のスケッチ会・夏のキャンプ・クリスマス会・年に1度のアズ展などのイベントも恒例化。
第1回「日本漫画大会」(1972年,*註1)にも参加しました。

【アズ出身のプロ作家たち(敬称略)】
●漫画家
あいきさだむ、すみだうみん、岡田志津子、甲斐絵恵子、きむらしんこ、北野竜光、杉野雅子、関よしみ、立花みちこ、南里桃子、文月今日子、松島裕子、松田慎太郎、陸奥A子、もり・せ・いちる、山本啓子
●イラストレーター
あさりまゆみ、太田しのぶ、岡部俊也、木村直代、しゅうさく、高木みねよ、高崎陽子、田中時彦、種田あけみ、羽生信之、山内泰二
●アニメーター
浦谷千恵(監督)、春日久美子(作画監督)、村田護郎(メカデザイナー)、横手美智子(シナリオ)
●評論
米澤嘉博、印口崇[客員]

米澤嘉博氏「迷宮」以前の同人活動 〜米澤さんとの思い出〜

米澤さんのプロフィールは、一般的には明大時代の批評家集団「迷宮」からですが、実はそのはるか前から漫画同人誌に関わっていました。

1967年(中学3年・14歳)に
入会したのが、北九州を中心とする地方サークル「アズ漫画研究会」入会理由は、「COMで小さく会員募集した記事を見て、会長の時やんと同じ学年だったから」(1997年発行,『あず』12号/30周年記念号,東京座談会より)。

高校時代には、九州のSFサークル「てんたくるず」(*註2)にも参加。1969年にKYUKONというSF大会を開催しており、当時高校生だった米澤氏もスタッフとして活動。

大学入学後は「明大SF研究会」に入会。1972年の第1回「日本漫画大会」から生まれた「モトのとも」(*註3)、そして「コミック・プランニング・サービス」(同人誌名「いちゃもん」)から「迷宮」へと活動は広がりましたが、いずれも「アズ」と平行して参加していました。

「迷宮」以降、米澤さんはコミケットの主催者の1人として(後に代表に)、またマンガ評論家として各方面に活躍してきたわけですが、僕達「アズ」のメンバーの間ではずっと「描き手」としての方が印象深いものがあります。

「アズ」の活動には、他のメンバー同様楽しく参加してくれました。1967年の入会から大学入学までは米澤さんは熊本でしたので、直接のコンタクトは1度だけだと思います。大学入学後から1977年までは、東京から熊本への帰省もしくはその帰りに、わざわざ何度か小倉の本部の例会に寄ってくれていたようですし、夏のキャンプにも参加してくれました。
1998年のアズ30周年記念イベントには、小倉まで駆けつけてくれました(当時は役員不足で、31周年の30周年記念でした)。翌日はスペースワールドで楽しんでいたそうです(笑)。
また、1986年に僕が上京してから2004年まで、懐かしい九州メンバーが上京する度に、飲み会に誘うといつも律儀に参加していただきました。
2006年10月の40周年記念展示会も、心待ちにされていたとの事。

米澤さんの作品は、決して商業誌的な絵ではありませんでしたし、上手いと評される作家ではありませんでした。むしろB級のジャンルで誰もが書かない事を、同人誌特有のオリジナルな視点と特異な画風で表現していたと思います。…かと言って、嫌みがある作品というわけではありません。それはそれで、アズメンバーは気に入っていました。

当初の作品は、年令も若い事もあってまだまだ稚拙な表現でしたが、SFが好きなんだなぁという嗜好はうかがえました。定期的に量を描いたのは、1971年の大学入学の年。まさに受験から解き放されて、沢山の作品を発表しています。そして、「オフセットあず」以降の1973年〜77年では自身の嗜好と完成度の高い…というか密な表現のオリジナル作品を、「漫画大会」「迷宮」や「コミケ」の合間に発表しています。
正直、もっともっと描いて欲しかった。そして米澤ワールドを広めてほしかった。

今となっては…これら(自作)の下地があってこそ、巨大化するコミケ・何でもとりあえず受け入れる…あるいは後に続く、マニアックな素養が視点としてあったように思います。

 

(2006.11.27 もり・せ・いちる)

註1: 「日本漫画大会」


「日本漫画大会」(にほんまんがたいかい)。「漫画大会」と略されて語られることが多い。1972年7月の第1回から第10回まで開催された漫画ファンのためのコンベンション。参加費は有料で、合宿も行われた。70年代初期は、SFファンダムから流れて漫画同人活動も同時に行う傾向も多く見られ(*1)、「漫画大会」運営の中心メンバーもSFファンダムのメンバーと重なっていた。そういうこともあり、「漫画大会」もそれまでのSF大会の形式を模した形式、内容となっていたようだ。

第1回 1972年7月29日〜30日 開催場所:東京 四谷公会堂  参加人員:369名
第2回 1973年8月04日〜05日 開催場所:東京 四谷公会堂  参加人員:413名
第3回 1974年7月27日〜28日 開催場所:東京 四谷公会堂  参加人員:455名
第4回 1975年7月26日〜27日 開催場所:東京 四谷公会堂  参加人員:567名
※上記の参加者数は、日本漫画大会各回の公式レポートの名簿をカウントした数字。
 米沢氏は、第1回〜第4回まで参加者名簿に名前が記載されている。
(*2)

*1 理由のひとつとして、同人募集をするのに『SFマガジン』(早川書房)の読者投稿欄が利用されたケースが多かったとの当時の証言がある。
*2 参加人員数及び名前記載情報は、同大会1〜3回までスタッフをされていたGomiさんが確認されたもの。
参考:Gomiさん作成「70年代 「漫画大会」というマンガイベントがあった」(GomiなPage/徒然なるFavorites)

データ最終更新2007/3/21

註2: 「てんたくるず」


福岡と熊本を中心にしたSFサークル「九州SFファングループ」の発行していた同人誌の名前。名前の由来は「SFファンの触手を伸ばしていこう」ということから(*1)。創刊メンバーには松崎真治(1969年第8回SF大会[KYUKON,熊本開催]の実行委員長)、梶尾真治(SF作家)ほか。

参考:『マッドサイエンティストの手帳』15堀晃のSF−HomePage
   「梶尾真治の作り方」(『Griffon(グリフォン)』1994年新年号,朝日ソノラマ)に結成当時のエピソードがある(*1)。

データ最終更新2007/6/28

註3: 「モトのとも」


「モトのとも」(望都の友)は、 1972年の第1回日本漫画大会の参加者により、同大会合宿の一晩を経て結成された萩尾望都ファンの非会員制のサークル。関係者のみの数十人規模の連絡機構となり、機関誌などが発行された。

参考:「別冊モトのとも」73年特別増刊号

データ最終更新2007/3/21

 


◎参考資料:「あず漫画研究会40周年記念展」パンフレット,2006年,あず漫画研究会40周年記念展実行委員会発行
◎上記のリストは現在作成中の暫定版で不明点を多く含みます。利用される際にはその旨をご了承ください。


■今後「米沢嘉博全仕事リスト」は必ず作成されるはずですが、それまでの繋ぎで、超暫定であってもその膨大な仕事を一覧できれば、という思いでリスト作成に着手しました。皆様のご協力を仰ぎたいと思っています。
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