File No. 04 研究テーマ
萩尾作品におけるバレエ―萩尾「バレエ・パレット」を理解する試み―

【番外編】
萩尾望都が語る“私がバレエものを描いた理由”


インタビュアー「『ローマへの道』など、バレエものがしばらく続きましたよね」

萩尾「はい、私、バレエ観賞が趣味なんで......。でもバレエマンガって山岸さんの『アラベスク』、あれでもう描き尽くされちゃったと思ってた。あの作品には一人の人間がどう悩み成長していくかという最大公約数が全部入っている。すごいです。だけど、バレエの舞台を見続けるうちに、バレエの作品一つごとに一つのエピソードを描くっていうオムニバスの構想-たとえば『ロミオとジュリエット』なら、そのバレエのストーリーとその主役を演じる踊り手の恋のゆくえというふうな-が膨らんでいって。それが、あの一連の作品になったわけです。

(『クレア』1992年9月号「THE 少女マンガ!!」p83より/文藝春秋社発行)


 萩尾さんがご自身語っておられるように、少女マンガ、特に24年組ファンにとってはバレエマンガといえば既に名作『アラベスク』(山岸凉子)がありますし萩尾望都さんの全作品の中でバレエマンガの占める位置は、特に昔からのファンにとってはあまり高いものではないような気がします。私は個人的には『ローマへの道』は深い名作だと思っているし、読むたびに泣くし一連のバレエモノも大好きではありますが、連載時は(どうしていま、萩尾さんがバレエマンガなんだろう?)と思ったりもしました。

 今回、萩尾作品の中のバレエものを取り上げて実際のバレエについて調べたりしながら、さらには音楽をかけながら読み返しました。すると、それらの作品が萩尾さんのバレエへの深い愛と理解によって描かれていることを改めて感じました。特に『フラワー・フェスティバル』はそこで創作される舞台「十二宮フェスティバル」の内容が示すように、バレエへのオマージュといっていい作品です。美しい舞台への夢と憧れ、その裏にある踊り手達の努力と感情、絡まる人間関係そして成長、全てがラストへと収束していく描き方はやはり見事です。そして、他の作品も、ご自身の語られた狙いの通りにバレエ作品と登場人物である踊り手自身のドラマが見事に融合して描かれています。
 
 バレエについて調べたのは、作品を教養モノとして読むためではなく、知った方がより理解できて楽しめると思ったからです。作者と読者の空想の糸がより鮮明になるように資料が役にたてばいいな、と思っております。

天野章生

戻る TOPへ戻る

文責:天野章生/作成日:1999/10/15

●萩研のtopへ●