月の岩屋【萩尾研究ワークショップ】
theme 02

Anything O.K.?
text: 卯月もよ


2002/8/31 last update
all illustration by Fusami Jono

02むかし真白き獅子ありき
08むかし太陽におちし少年ありて
14むかし青ざめし少女ふたり居れり
20喰わず嫌い。
27
また行かなくちゃ。

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ウズキイラスト ▼好第2回

むかし真白き獅子ありき

update:2002/3/9

 昔話は年寄りの十八番。であれば「図書の家」最年長の私としましては昔話から始めるのが無難でしょう。
 なんせ思いのほか同年代のお客様がおいでの様子。取敢えず「うんうん」と頷いて頂きましょう。
 昔々・・といってもタカが知れてますが、漫画に関する私の記憶を遡ってみました。あれはいつだっけ・・・おぼろにかすむ記憶もネットで検索すればたちまちあらわに・・・・・・
 さて、時は昭和40〜41年あたり。小学校にあがるかあがらないかの頃、私はお友達の家で、お兄さん所有の漫画を時々読ませてもらっていました。
 お兄さん(当時中学生?)は手塚治虫ファンで、手塚漫画をたくさん持っていました。少年雑誌も号数順に本棚にキチンと並んでいました。(それはチビッ子は触ってはいけなかったようです)
 読ませてもらってたのは付録漫画だったのでしょうか、雑誌より少し小さい版型の本でした。単行本だったのかもしれません。一冊丸ごと「ジャングル大帝」や「W3」で、それが何冊もあるのでした。フルカラーのページがついたものもあったように思います。
 学習雑誌に連載されていたのとは雰囲気の違うレオやアトムに戸惑いながらも物語に引き込まれました。お話は長く長く続き、なかなか読み終えることができませんでした。
 私が“漫画だけで出来ている本”と“漫画の並んだ本棚”を見たこれが最古の記憶です。
(あのお兄さん、今でもそれらのコレクションを持っておられたらすごいお宝持ちだと思うのですが、どうなさったでしょうね!)
 その頃、ジャングル大帝はテレビアニメになっていました。私は大喜びで見ていました。オープニングの歌もかっこ良く、動くレオもかっこ良かった。
 ところが母の言うには、裏番組の「快獣ブースカ」が大人気でレオを見る人が少ないため近々番組が終わるとのこと。(注:1966年の続編「新ジャングル大帝・進めレオ!」放映時の話)
 近所のお友達はみなブースカを見ていました。私は「レオを見ようよ」と誘ったのですが、「ブースカのほうが面白いもん」と断られてしまいます。私にレオを読ませてくれた子さえブースカに傾いていました。家では3歳下の妹がブースカを見たがってぐずり、私は敗北します。
 悔しい。レオのほうがゼッタイ面白いのに!!
 捻くれ者の烙印を押された幼いレオファンの目に涙が滲みました。 
 これが“漫画作品のファン”になった最古の記憶です。
 「名作が人気作とは限らない」という世の中の不条理をも教えてくれたジャングル大帝レオなのでした。


ウズキイラスト ▼好第8回

むかし太陽におちし少年ありて

update:2002/4/20

 4歳の頃。山陰の地方都市で両親と生まれたての妹と暮らしていた。玄関のドアを開けると中に階段があるアパートの二階で。
 汲取り式便所の穴ははるか下まで続いていて底が見えず、不思議の国のアリスのうさぎ穴のよう。落ちそうで使えなかった。網笠で顔を覆った虚無僧が来て尺八を吹くと、母は私に小銭を渡すように言った。どこかに連れて行かれそうで階段を下りられなかった。アパート前の舗装道路は傾いていて、いつのまにやら脇のどぶにはまっていた。1階には10数匹の猫を飼っているおばさんがいて、うっかり部屋にはいったら猫達に襲われそうな気がした。近所のデベソの赤ちゃんはエイリアンじゃないのかと疑った。すぐ大きくなって三輪車に乗っていたのも怪しかった。私の三輪車はごろつきの小学生に分捕られて踏みつぶされたのに。銭湯に行くとタイルですっ転んで頭にたんこぶが出来るから緊張していた。叔父に抱っこされて大きな桶の中を覗き込んだら、頭に三角の布をつけた白装束のひいばあちゃんが膝を抱えて座っていた。
 ある夜、アニメ『鉄腕アトム』を見ようとしたら放送がなかった。母に尋ねたら「もう終わったよ」。ショック。アトムはどうなったの?「太陽に吸い込まれていった」「地球を救うために死んだ」追い討ちをかけるように聞かされる悲しい結末。更にショック。なんと父まで最終回を見たという。私は寝てしまっていたのだと。そんなことって。いつ放送があったの?「大晦日の夜1時」だと言う。・・夜の1時!大晦日の!子供が起きていられたわけがない。ひどい。なぜそんな時間に?きっとあまりにも哀しいお話だから子供には見せないように夜中に放送したに違いない。打ちひしがれる私。
 私の頭の中には、真っ暗な空(なにせ夜の1時だから)に白く輝く太陽(なにせ白黒画像だから)を目指して黒い宇宙を果敢に飛んでいくアトムの姿が浮かんでいた。太陽は恐ろしくも強い力でアトムを引き寄せ、燃え狂う炎がアトムを吸い込み・・。アトムが死んだなんて・・。可哀想なアトム・・。
 ところが。
 今回原稿を書くに当たって調べてみたら、最終回の放送は1966年の大晦日。私は7歳で、平屋の借家に住んでいた頃だ。放送は私が4歳の頃に始っているので、住んでたアパートとアトムがセットで記憶されたのかな。だけど今更わかった真実に軽い戸惑い。だって、4歳時の日常の恐怖の思い出とアトム最終話の恐ろしいイメージとは、ひとまとめになって私の脳みそに“ブラッドベリ風味”な味付けでべっとりと貼り付いていたので。ちょっと味付けが薄くなっちゃった。
 あ、そうそう。「夜の1時」が「夜の7時」の聞き間違いだってことは気づかれてますよね。これは子供の内に判明しておりまして。母に呆れられましたけどね。

ウズキイラスト ▼好第14回

むかし青ざめし少女ふたり居れり

update: 2002/6/2
 私の幼少期の漫画体験に「少女漫画誌」を加えてくれたのは、言うまでもなく(?)床屋さんである。私自身は髪をおさげにしていたので床屋さんのお世話になる回数は少なかったが、幼稚園児の妹は“刈り上げ”頭にさせられていたため、定期的に付き添いとして床屋さんに通っていたのだ。順番を待つための長椅子の後ろの壁面が本棚になっていて、漫画雑誌がずらりと並んでいた。私はそこで『マーガレット』と『少女フレンド』を読んだ。
 どういうわけだかその頃の少女漫画誌には子供を怖がらせる内容のものが多かった。楽しいお話もあったのだろうけれど、記憶に残っていない。
 怖いの筆頭は両誌競うように載せていた“恐怖漫画”、楳図かずおと古賀新一。トラウマ作りが目的だったのか?と出版社を責めたいくらい絵は見るだけで恐ろしく、印刷の紙面までも嫌な臭いを放っていた(単なるインクと紙の臭い)。特に楳図の力はすごくて、母に「怖いならやめなさい」と言われても、蒼くなりながら読んでいた(古賀漫画は飛ばした←絵が好きじゃなかった。ならば楳図の絵は好きだったのか..というと..ウーム??)。自分でページがめくれず頼んで先を確かめてもらったこともある。忘れられない幾つかのシーンがいったいどの作品のどういった場面なのか、大人になった今もなかなか確認することはできない。怖くて読み返せないからである。ある時、勇気を出して新古書店で立ち読みしたら早々に“想い出の場面”と再会してしまって手が震えた(本は買わずじまい)。
 それ以外の、少女漫画誌ならではのかわいらしい絵柄の花をしょった女の子が主役の愛の物語さえ結構怖ろしかった。なにしろ主人公が押しなべて不幸なのである。けなげに正直に生きているのに、親は行方不明だし病気だし、自分もいじめられ誤解されさ迷い歩いてボロボロ。救いの手が差し伸べられてもタイミング悪く逃してしまう。最後には幸せになれるのだけど、それまでの苦難たるや。幼い子供に「人生はつらいことの連続。幸せはメッタなことでは手に入らない」とくり返し教えてくれた。また「世の中には貧乏人と金持ちの二種類いる」という世界観も植え付けてくれた。いったいいつの時代だ!といいたい60年代後半の日本である。
 気を取り直して読み物ページを読んでみても、テレビのアイドルは笑顔の裏に貧しい生立ちと苦難の人生を隠しているというし、遠い外国でも天変地異に飛行機事故、難病奇病が溢れているらしく、不幸な子供がたくさんいると書かれてあった。
 そんなこんなで目一杯漫画誌を読んだあと、刈り上げ跡も青々しい妹と店を出ると、決まって日の光に目が眩み、頭がずきずき痛み、胸がむかむかした。「床屋さんに行くと気持が悪くなる。」全国の床屋さんには申し訳ないが小学生の私はそんな公式を作ってしまった。
 なお、現在の私の家族が一人も床屋に行かないのは、別にその公式のせいではない。と、思う。

ウズキイラスト ▼好第20回

喰わず嫌い。

update:2002/7/14

 子供の頃、魚料理が苦手で、魚好きな母に「美味しいのに。食べてご覧。喰わず嫌いなんだから」とよく言われた。高校1年の夏、高知に旅行した。どこに行っても「たたき定食」と「太刀魚定食」しかなく(他のメニューもあったろうけど)仕方なく食べたら美味しいのなんの。以後、刺身と焼き魚は食べられるようになった。
 私はこの数年、漫画の話をネットでするようになってから、自分の“漫画における喰わず嫌い”つまり“読まず嫌い”をしばしば感じる。
 漫画界で「名作」「傑作」と言われている作品で未読のものが多いような気がする。こんなに大量の漫画が世の中にあるのだから、殆ど読んでるなんて人のほうが少ないに決まっているけれど『図書の家』内部で話題になる作家、作品も読んでいないのが多い。漫画のサイトを運営し、しかも“司書”などと名乗っているくせに、不勉強もはなはだしい。大勢の人が賞賛し評価しているのを、読もうともしないってのはどういうわけやら。
 例えばこれが小説の話ならば、とりあえず代表作と言われる作品を一つ読んでみるところ。だが、漫画には『絵』がある。1ページもめくらなくても作品の一部が見えている。お話を読まずとも流し見るだけで作品の要素の半分は確認できてしまう。その『絵』に魅力を感じなかったら、抵抗感を持ったら・・・そのまま読まずに終わってしまう。時には嫌いなタイプの絵のはずなのに読まされてしまうこともあって、そういうのは<嫌い>の中に微妙なバランスで<好き>の要素が入っているようだ。
 今市子は『百鬼夜行抄』が話題になり始めても全く読む気がなかったのは絵を見たからじゃなく、私の苦手な“ホラー漫画”だと思いこんでいたからだ。しかし1巻の小さな写真を雑誌の記事中に見たとき、心惹かれるものがあった。現物を見たら非常に好みの絵柄だったので大喜びでファンになった。
 獣木野生はどの古書店に行っても『パーム』シリーズがあるので「人気作なのね」と手にとったもののあまりにシャープな線に「苦手なタッチ」と判断、棚に戻してそのまま忘れた。なのにKさんたら20数巻も買って宅配便で送りつけてきた。仕方なく読み始めたらロマンティックなストーリーに夢中になってしまい続巻を市内中探し回る羽目になった(主人公がオスカーに似てたしね!?)。
 読まず嫌いも喰わず嫌いも同じ、1度食べてみればその美味しさに気づくもの。それが判っているのに手を出さないのは単なるものぐさの言い訳か、或いは苦手を明言したくないがための方便か、さてはて。


ウズキイラスト ▼好第27回

また行かなくちゃ。

update:2002/8/31

 お盆休みにイギリスに行ってきました。飛行機嫌い観光地嫌いの人と一緒だったのでなかなか制約が多かったのですが、自分が春に作った“自転車旅行ルート”の一部はぜひ辿りたい、そしてロンドンではイアンのアパートなんぞ探してみたい、と目論見ました。しかし渡航前に「残酷な神〜」再チェックの余裕なく、ロンドンでの資料メモを作れないままで出発・・・・。
 4日目。ハムステッドへ行くなら今日です。が、ハムステッドはロンドン中心部からは少々遠くしかもかなり広い範囲の地区であるらしい。旅行とは歩き回る日々。私の足はよたっていました。迷っていた私は目の前に来たバスに乗って全く違うところへ行ってしまったのでした。
 イアンのおしゃれなアパートを見つけるという目的が敢無くぽしゃったその晩、私はホテル内の白髪のバーテンダーが仕切っている高級バーにチャレンジしました。セピア色の空間にいた先客は1人の女性を4人の男性が囲んだ若者グループ。ラフな着こなしながらも葉巻に火をつける仕草が板についてるリッチな感じの彼ら。その一人がまさにイアンのヘアスタイルをしてるではありませんか。「10年後のイアンとその友人達」と勝手に決め付けましたが、もしかしたらあれは「ワープしてきたオズワルドとマドンナとその取巻き」だったかもしれません・・・・そう、あの女性、ブルネットで堂々としていたし・・・・。
 5日目、列車でブライトンへ。自転車ごと乗り込んでくる人の姿は珍しくない光景でした。交通機関に苦労しながらようやく白亜の崖セブンシスターズに辿り着きました。羊や牛がのんびり草を食み、可憐な花々が咲く緑の丘のふちが、いきなり垂直に海まで落ちています。カモメは崖のはるか下にいて姿は見えず、声だけがチョークの岩を削るように吹き上げてくる風に乗ってきこえていました。美しく不思議な光景でした。
 サウスダウンズの丘の一つに削られた巨人像を見てからまた列車でライへ。通りの両側にマージョリーが大喜びしそうな可愛いものを扱ったお店が並び、カモメがたくさん飛び交って海が見えないのに海を感じさせる街でした。この街最古のホテルは白壁に黒い木組みの15世紀の建物で、低い天井、迷路のような狭い廊下、四本柱のベッド。
 遅い午後、いつまでも明るい夏の夕方に、古い建物に囲まれた中庭で、スコーンとお茶を頂きながら私は“またいつかイギリスに来よう、ライに来てナディアの「いつ来てもライはいいわ」という言葉を感じてみよう”そう考えていました。そしてポットのお茶を一滴も残さずカップに注ぐのでした。


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