月の岩屋【萩尾研究ワークショップ】
theme 01: Keyword Rally PART2 (お楽しみスペシャル)

date: 2000/7/8―12/24

keyword 24 25 26 27

 

keyword No.24
ツワブキ

 良く聞かれる質問で、“一番好きな萩尾作品はなんですか?”と言うのがあると思います。まあ、挨拶代わりなんですけれど、結構困る質問です。
しっかりと自分の有る方にとっては何の事はない質問ですが、優柔不断の代表のような私にとってこんなにむごい質問はありません。しかしながら、同じように“誰が一番好き?”と問われると何故かコレだけはすばやく答えることが可能なのです。乙女心とは奇異なもの(笑)。
 ワタクシのマイラバーの位置には初読の学生時代より今日まで“オスカー・ライザー”氏が一貫して鎮座ましましております。一時期周囲の人間にグレッグをプッシュして歩きましたが、けっして故ローランド氏がナンバーワンではありません。(確かに有る意味、ワタクシの中でナンバーワンの地位を勝ち得ていることに違いはないが…)
 物凄く間違った物語の読み方をする私にとって、トーマの心臓は“良くわからんがオスカーがかわいい〜オスカーのかわいそうな話。”でありましたし(ココで既に間違っていた)、ユーリファンやエーリクファンを敵に回すような発言をしているが、人生の中で萩尾仲間ができたのはごく近年ですのでこの感想を改めるような殊勝な友人はいなかったのだ。
 かの名作“ポーの一族”における“メリーベル”の立場は私にとって実に軽かった・・・。なぜなら、私はアランファンであり、メリーベルはエドガーを独占する憎き恋敵(笑)でしかなかったのだ。
 どの作品に対しても先ずキャラクターで入ってしまうので感想が作品に対してよりもそのキャラクターの立場としてになっていることが多い。こういう偏狭的にキャラクター重視の曲がったはなしの読み方をしているためよく大局を見逃す羽目になる。
と、一体このくだらないだらだらないダラダラ話とこのキーワードがいかに絡まってくるのか?

 要するに(要してないって)覚えてなかったのだ・・・・
 “ツワブキ君”どころか、“赤ッ毛のいとこ”を!!!
 こう言うのは、大局を見逃すと言うよりも・・・記憶力の欠落って言うんですけれどね。便利なとり頭。
ちなみに最近はようやく読者として落ち着いて読めるようになってきました、それも小西、もよ、両博士のおかげでございます。
なるほど、こう言う風によむのね!!と何度うなったことか〜むぅ〜〜〜

 12月の岩屋はこんな風に”おまけ”なトークがつづくわけですが、お暇を見つけてお立ち寄りください。
去り行く20世紀をしのびつつ、次週もつづくのだ。

岸田イラスト「ツワブキ」

 

No.24 text:城野ふさみ illustration:岸田志野 keyword:小西優里 2000/12/2
TOP▲
 

keyword No.25
キス

 ホモ話を避けてはハギオモトは語れないのだ。
 眉間にしわを寄せて読むか、嬉々として読むかは皆様次第ですが、キスされるメッシュに「いや〜ん(嬉)」となるあなたは同類なのでつきあうように。 
 かなり悩みました(涙)今回のキーワード。
実のところ、ハギオモトのイメージに“キス”と言う項目が存在していなかったワタシ。いや、以外とキスシーンは描かれているのだけれど、いわゆる少女漫画におけるキスシーンのような意味のものはない・・・・・かな。(確認しろよ)
 「メッシュ」ではキスシーンが11話中38回も存在するのですよ(公式記録ではない)ざっと平均すれば1話に3回以上なわけだから、結構な回数である。(時間が許すならば、残酷との比較なんてやってみるのも楽しいかもしれないなぁ。)
 カウントしたことないが、異性間のキスシーンより同性間のほうが絶対的に多いはずである。エーリクがユーリに与えた天使キス〜のようなものから、グレッグの呪いのキス(笑)果てはアズ兄ちゃんの愛情過剰な厄よけのキスまで。意味も種類も全く違うキスがズラリと勢ぞろいしております。そういえば、試しにキスして本当に(不本意ながら)呪い殺してみたりする性質の悪いのがマージナルワールドにも一人おりました(笑)
これだけ多種多様なキスシーンがあるのに、ハギオモトの描くキスは後にひかない。
キスと言うと少女漫画の一大イベントであるはずだ。(しかも、萩尾ワールドでは同性同士と言う特殊設定でおこなわれることが多い)それをいとも簡単に流して読ませてしまう。(はたして、それってあたしだけか?)
 萩尾先生ご自身が「同性愛モノには非常に興味があります」的な発言をされて、ホモ好きのワタクシを大喜びさせてくださいましたが、そう言った期待をあおる(?)発言とはうらはらに、先生の描かれる愛情世界は限りなく肉親の愛情に近いように思います。異性間で書き上げれば必ず出てくる愛憎愛欲が、同性というファンタジーと、母子愛というきわめて親近感ある感情で包まれることにより嫌悪感を持たずに共感することが出来るんですよ。うぎゃ! 男同士なのに! とか思う前に、ふにゃーん(幸)となってしまうのは読後感が爽快だからなんだよね。そう、細かい事忘れちゃうくらいに。別に私が鳥頭だからじゃない。と思うぞ。

 

天野イラスト「キス」

 

No.25 text:城野ふさみ illustration:天野章生 keyword:岸田志野 2000/12/9
TOP▲

 

keyword No.26
スピリット

 フラワーフェスティバルです。直球勝負(?)ですが、おつきあいくださいませ。
 実を申しますと、この作品の主人公ミドリと同世代だった頃、この作品を読んでいても全く共感も感動もできませんでした。連載で読んでいた訳ですが、バレエにもるーちゃんにもミドリにも生真面目なサンダーにもまったく興味がもてなかったわけです。シェークスピア的人間関係とかにも・・・・・。
 これには前年まで連載していた「マージナル」の余韻が全く抜けきっていなかった事もありますが、ミドリの少女らしさというのに強い反発があったこともあるんでしょうねぇ。
 というのも、当時こんなに苦手としていた作品を十何年経った今、嬉々として読み返しているわけですよ。しかもミドリにしっかり感情移入して、ロンドンを追体験し、サンダーに恋をしてリュスにときめいている訳なんです。“少女”という位置からほど遠いところまで来てしまった今、落ち着いて楽しめるようになったと言うことでしょうか? 今になって“少女”を追体験するというのは全く持ってファンタジーだからなぁ・・・。
 しかし、この作品を理解し、好きな作品としてあげるようになった今だから気になってしょうがないことがあります。それは、「フラワーフェスティバル」には実に雑多な印象を受けるということなのだ。
 たいがいの萩尾作品は読み手に情報整理能力を問うような複雑怪奇さが備わっておりますが、ネームの多さだって設定の複雑さだってこれまでやそれからの作品と変わらないのに、なぜか、「フラフェス」には今まで感じなかった“雑多さ”を感じてしまう。ストーリーがすぅっと頭に入ってこないと言うのかな、なにか邪魔が入る感じ。
・・・はっきり言えば、「フラフェス」のみに感じるわけではなく「完全犯罪」にも感じる訳なんですけど〜〜〜
 どちらもね、同じ年に描かれていて、作品構成にたくさんの作品が引用されているのですよ。かたや、バレエ作品のあれこれ、かたや甲斐作品のあれこれが・・・うむ〜もしや、これはバレエの知識や甲斐さんの歌に詳しければ感じることのないストレス!?
情報整理能力ばかりか知識まで共有を求めるのか?萩尾望都よ!!(笑)
 どちらの作品も「ミドリ」がネック(笑)とか、“舞台上の精神”的なモノ(スピリット)が描かれているけど、それが原因ではないもんね。

卯月イラスト「スピリット」

 

No.26 text:城野ふさみ illustration:卯月もよ keyword:天野章生 2000/12/17
TOP▲

 

keyword No.27
図書の家

 さて、最終回です。言葉というのは第三者へ伝わった時点で発した者の意図とは違う方へ向かってしまう可能性が含まれています。ネットをやる人には割と理解できる感覚で、ましてや物を書き伝えることを生業とする人にはその辺をどう攻略していくかというのも技術なんだと思います。ああ〜むずかしい。
 マンガを描くという行為も作者は自分の描きたいことを作品以外でフォローするなんてできません。
 妙な解釈を読者にされたとしてもそれに弁解して歩くことは出来ない、感性なんて人それぞれなんだから、これはこういう作品です、同じように感じてくださいと言うわけにもいかないしね。萩尾望都の作品はなにかこう〜たいへんだなぁというイメージがあるのです。わりかし、作者の目指す意図はわかりやすいところに存在しているのだけれど、はっきりとした結果を押しつけずたくさんの未来を含ませて終幕する。読み手の感性で全てが変わる世界だ。萩尾望都の作品に対する他人の意見を聞くのがおもしろいのはそこだ。
 しかし、たくさんの読者の中には自分の持つ世界にこだわりすぎて他人の世界を認められない人も存在する。おもしろい作品になれば成る程、熱狂的なファンはかたくなになっていく。アイドルに対するファンもストーカー的な人も同じように高まった感情が周囲を見えなくする。悲しいことです。
 そして読者に物語を手渡した時点でそのお話に手をふれる権利は作者から取り上げられる。
 続編を書けば不満を語られ、描かずにいても言われてしまうのだから大変だ。
 最初から周囲の意見を全く聞かずただ自分の世界を書き続けることの出来ればなんの問題も発生しない話だ。でも読者からすればそんな作家はいやだし、できないもんでしょう? 周囲で完全カットしない限りはさ。
 萩尾望都の内面にそういった葛藤がかつてあったことも確かだと思う。
 そういう熱狂的なファンを生む作品を書き続けてきたのだからないはずがはない(と思う。)
 いったいいつから萩尾望都はあっさりと過去の家を崩し常に前を向いて歩く方法を手にしたのだろう。
 過重なる期待との葛藤、周囲に振り回される自分。キラが萩尾先生と重なってみえたのはわたしだけだろうか? ただのセンチメンタルだとしても、私はこの「マージナル」という世界が最終話を迎えたとき本当に心から安心した。萩尾望都のことをきっと一生好きだと思った。過去は崩れ去り幾度も再生するのだ。

 

小西イラスト「図書の家」

 

No.27 text:城野ふさみ illustration:小西優里 keyword:卯月もよ 2000/12/24
TOP▲