月の岩屋【萩尾研究ワークショップ】theme 01: Keyword Rally PART2

date: 2000/7/8―12/24

keyword 20 21 22 23

 

keyword No.20
群集

 “群集(モブ・シーン)は主人公のじゃまにならぬように整理して描け”とはかの石森章太郎『マンガ家入門』にある注意書きだが、モブ・シーンというのは描き手にとって相当面倒なものに違いない。でも、それを楽しそうにだだだだ〜〜っと描いちゃってる先生方が、世の中にはいる。
 萩尾さんのデビュー作「ルルとミミ」には、どたばたモブ(注:造語)の王様である手塚治虫直系の、ケーキ合戦の見開きモブ・シーンがある。投げ合い合戦といえば、そうそう、かの「トーマの心臓」の食堂のスープ合戦というのもあったなあ。こういった動きの激しい、かつ、コミカルに大人数が入り乱れるモブ・シーンは、ハギオさんお得意の独壇場。描き手の楽しさが伝わってくる1コマだ。
 しかしモブ・シーンというものは、仕事が増えれば他の手を借りるのが世の常ヒトの常。萩尾さんもその例外ではなく、アシさんに人物線をゆだねた時期もある。74年から75年、「トーマの心臓」連載のあたりは佐藤史生さんや花郁悠紀子さんがアシスタントとしてたくさん描いているのは有名なことだが、それはほんの一時期のみ。ハギオ作品のペンタッチは、またほとんどが主人の筆で揃っていくことになる。――それはなぜ?
 もしかするとそのきっかけは、その時期から発表が目立ってきた少女漫画の枠を超えたSF作品だったかもしれない。「百億の昼と千億の夜」「銀の三角」「マージナル」などの長編SFにおいては、壮大な世界観を表現するためにモブ・シーンという装置はごく頻繁に登場する。特に「マージナル」における男ばっかりのソレは圧巻。何しろこの作品の主役は“世界”。たおやかな女は存在せず、長髪の美形も埋没する群集の世界だ。
 思うに、モブ・シーンというのは描く側の頭にどれだけのイメージが構築されているか、そしてどれだけ表現しうる技術があるかが見て取れる怖ろしいアイテムだ。なのに、物語に必要ならばと容赦なきディレクション能力で、軽々と作品に配置するのがわれらがハギオさん。彼女の手によれば、物語では名も与えられない人物たちにも性格があり表情があり、モブがモブとしての魅力を最大限に発揮することになる。
 しかし、これだけ描けるなら、いっそ萩尾版『ウォーリーをさがせ!』みたいなのもいいな。シュロッターベッツの礼拝や、ガブリエル・スイスの創立祭、スコッティの村のバンパネラ狩り、銀の三角の祈りの朝。そして私たちは探す、いつまでも、かの人を。

城野イラスト「群集」

 

No.20 text:小西優里 illustration:城野ふさみ keyword:卯月もよ 2000/11/3
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keyword No.21
海

 萩尾作品には“海”は頻繁に登場する。古くは「ポーの一族」正編。ポーツネル男爵一家が引越してきたのは岬の赤い家だ。男爵の「波の音がうるさくて 聞こえなかった なんといったエドガー」という一言で、読み手は真っ暗な夜、館に響く波の音を間近に聴く。また『精霊狩り』シリーズの「みんなでお茶を」では、精霊であることがばれて村人に追われたダーナたちが、かつての住まいである岬の黄色い家を燃やされ、夜の黒い海を渡って脱出する。ここでは満ちているはずの潮がなぜか引き“海”はダーナと子供たちを助けてくれるのだが、この萩尾作品を代表する異端者たちの住まいは共通して海のそばや岬にある。不安を誘う、ざわめき泡立つ波は彼らが来るのを待っているのか。
 オカルト研究の本をみてみると“海”とは‘無意識’や‘魂や精神’を表す図像なんだそうな。萩尾さんも「デクノボウ」という作品で、仕事の集中力が高まる状態を海に潜水するのと似ていると述べている。ネームを作る作業は暗く深い海―無意識の世界に深く潜っていくこと。そこにどんどん深く潜れば潜るほど、いいものが見つかるという。
 何かが潜み、そして新しく生まれる場所でもある“海”。だから異端者や弱いものたちは海に助けを求めるのかもしれない。「マリーン」でもラストの舞台はまっ黒な荒れた海だ。波間に深く沈んだ彼女は、エイブの想い出の中にしかリフレインしないようにみえる。この物語では二度と彼女は再生しない。
 しかし、年を経てハギオの海は変化を遂げる。まっ黒で荒れた海の描写から、もっとバリエーションが生まれてくるのだ。「海のアリア」ではアベルは嵐の海にとらわれるが、新たな存在として海から生まれる。ここでの海は、あくまでも透明、そしてアベルは変化を飲み込み生まれ変わって、新しい未来が語られていく。「残酷な神が支配する」でも、ジェルミが高さ160mの絶壁から海へ向かって飛ぼうとするシーンがあるが、そこでは“海”は怖い象徴ではなさそうだ。「カモメみたいに飛べるかと思った」というジェルミ。70年代の黒い海と対照的に、その場面の描写は明るい光であふれている。煩わしい、忘れてしまいたい現実から逃れ、生まれ変わりたいと望む萩尾作品の登場人物たち。彼らは無意識に“海”を再生の場所として選んでいるのかもしれない。そして、その過程を今、萩尾作品は描いている。暗い海を背景にしていた彼らも、次の新しい物語を待っているのかもしれない。

城野イラスト「海」

 

No.21 text:小西優里 illustration:城野ふさみ keyword:岸田志野 2000/11/11
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keyword No.22
みどり

 みどり。今回は“色”の話をしよう。
“色”というのは“線”や“物語”に比べれば萩尾にとっては後からやってきたもののように感じる。あれこれ工夫して色を重ねた初々しく愛らしい若き日のカラー彩色。そこで印象的なのは主にピンク、ブルー、イエローなどの華やかな色。しかし、初期の彼女はカラー絵よりも白黒の世界を構築することで十分満足していたのではないだろうか。
 デビューから現在まで一貫して、萩尾の白黒画面は綿密にコントラストの配分が計算され、機能的かつリズミカルに構成されている。デビューから画面を鍛えていくうちに、彼女はその中で光を、更には色彩も喚起できるようになってくる。72年の「妖精の子もり」という短編。この16頁では、初夏の強い陽射しが全編にわたってきらめいている。ただの木洩れ日というだけでなく、逆光や反射光のまぶしさがボーイミーツガール・ストーリーの胸騒ぎともあいまって、画面の中で跳ね回る。くっきりとコントラストをつけた濃い影が、日曜の午後、黄金の瞬間を縁取る。この掌編の主役は実は“光”なのだ。こんなことが白黒で可能なら、わざわざその上に重ねて彩色をする必要はない…。
 こんな風にモノクロ画面ならなんでもこい、の萩尾であったが、カラー絵はある時期まで「せっかくカラーなのだからたくさん色を使わねば!」と懸命に頑張っているような、そんな気合いを感じるものが多い。カラーを描かせてもらえる場所が、予告か表紙まわりの小さなカット、もしくは単発のイラストに限られていた時期、そこで目立つようにとなれば華やかで派手な色の組み合わせが必修なのは仕方がなかったのかもしれない。  
 そんな中で、ごく初期から彼女がポイントに使って成功していたのが、光の色である黄色だ。他の部分を控えめな落ち着いたトーンにしても、黄色をそこに配色すれば十分に華やかで印象的。こんなセオリーが積み上げられながら、萩尾のカラー絵は描かれていったのではないだろうか。だから彼女のキャラクターの髪の色や目の色をそこから確定するのは難しい。その絵ごとに効果的な配色がほどこされて、あらゆる色が試されており、説明にとどまっていないから。こうして色をひとつずつ自分のものにして、現在の萩尾望都カラーができあがる。どこまでも甘く透きとおり、浄化されるような水や空の色。光はそこに溶けている。これを今見ることができるのは至福以外の何ものでもない。

城野イラスト「みどり」

 

No.22 text:小西優里 illustration:城野ふさみ keyword:天野章生 2000/11/19
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keyword No.23
理想と現実

 いわゆる少女漫画の図像というのは、鉛筆さえあれば誰でも手軽に描ける“線”でできている。ちょっとコツをつかめば、気に入りの絵を真似て描くのもそんなに難しいことではない。ふわっとしたドレスの裾は裏側を少し見せると立体感が出るとか、金髪の波打つ巻き毛の輝きは斜めにずらして入れるといいとか、そんなTips(裏技)収得が何よりも嬉しいものだった。
 しかし、そういった地道な訓練もすべて無となり今までの全てを塗り替えられる衝撃、これが「萩尾望都」との出会いであったかもしれない。……ま〜た大げさに言うんだよ70年代リアルタイム組は〜とお若い皆さんはお思いでしょうが、実際にそうだったんだからしかたがない。私の場合のカウンターパンチ・オブ・萩尾作品は、たまたま買った古雑誌での「小鳥の巣」最終話。それは自分のなかでもやもやとして今まではっきり見えていなかった憧れや好きなもの、めざそうとする“理想”のものが、いきなり具体的に全て絵で“現実”に提示されてしまったような、そんな怖ろしい作品だった。
 まあこんなことは、当時はそんな風にコトバ化していなかったので、ただ、なんだかわけのわからない、しかし目が離せない不思議な作品と映ったはずだ。しかし、私の読んだその部分は、ポー・シリーズ第1期最後のクライマックスでそれまでの物語の筋などわかりようもないのだが、裏を返せばシリーズ通しての美味しい部分だけが羅列され凝縮された、たいへんに濃密なものだった。そこでは1、2ページの単位で小刻みに延々と事件、回想、見せ場の連続で息をつく間もない。この「小鳥の巣」は、寄宿舎の雰囲気を描くのが一番の目的だったとは言わないまでも、役者も舞台も設定もそういう意味では最高で、非常にファンの多い作品だ。しかしその華やかな要素だけではなく、漫画としての表現自体のリズムや見せ方が、周りの少女漫画では見たことのないような、それまでの萩尾作品の中でも最も勢いのあるものだった。それはまさにそういうものを無意識にも求めていた者にとっては“理想”を具現化したもののように見えたはずだ。こんなものを描かれては、もはやどうしようもない。その完璧な理想の姿に、現実の自分を悲しくも知るのである。
 しかしその“理想”の人は、自分を変えることに躊躇をしない人であった。“理想”が自ら姿を変える。その衝撃もいかばかりか。それはもっと後の話となる、のであるが。

城野イラスト「理想と現実」

     

ああ、11月分が終わった。嬉しい。ほっとした。これが正直な感想です。でもまたこういうのはやりたいなあ、と個人的には喉元過ぎて思うのでありました。
最後までお読みくださいまして、本当にありがとうございます。来月分も、引き続きよろしくどうぞ。(小西)

 

No.23 text:小西優里 illustration:城野ふさみ keyword:卯月もよ 2000/11/26
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