キーワードラリーの道は爆裂続くよ。城野イラスト。

月の岩屋【萩尾研究ワークショップ】
theme 01
Keyword Rally
キーワード・ラリー

date: 2000/7/8―12/24

keyword 11 12 13 14 15
 

keyword No.11
異常事態発生

 異常事態発生、と聞いて真っ先に思い浮かぶのは『11人いる!』。
 私の周囲には漫画好きの友人が多く、萩尾望都といえば既に基礎読本。そうした仲間内で集まった何かの折、人数を数えるような場面でたまたま11人だったりした時には、申し合わせたように「11人いる!」と皆で口を揃えたりしたものだ。このテの遊びは、厩戸皇子の手つきで「目ざといのも災いのもと」などと言ったりするのと合わせてポピュラーなものだった(ってやらないか? 普通は・・)。
 11人! このどうということのない数字が既に特別な意味を持つようになってしまった程の作品の魅力。未来における慣例的な試験風景が、誰かが出したこの叫びで一転して緊迫のシーンに入り、ぐいぐいと読者を物語に引き込んでいく。そもそも、物語の一つの形というのは異常事態が発生し、収束していく部分を切り取ったようなものなのかもしれない。
 少年が少女と出会い、恋に落ちる、それもまた日常の中の異常事態。フロルがヘルメットをとった瞬間のインパクトもまた。読み返すと、この瞬間のタダの表情は描かれていない、しかし、出会った時からフロルは妙にタダを意識する。体格が近いから? 骨格がしっかりしてるから? 皮膚が堅いから? 恋はもう始まっていたのかもしれない。
 雪の日の朝、いきなり少年は陸橋から飛び降りる、一人の少年の名を呼びながら。
 突然の事件は学内に波乱を起こす。なぜ、彼は死を選んだのか?
 ・・・これは『トーマの心臓』における異常事態発生。トーマ殺人事件の幕開けは映画のイントロのように鮮烈で、タイトルの上に流れるトーマの詩を暗唱出来るくらい読み返したものだった。(でも、いきなり死んじゃいかん、というので萩尾さんは作品を描き続けられておられるのだろう。)少女漫画史上に残る異常事態発生。どれだけの読者がこれに巻き込まれたことだろう。フロルの桃の実験のように“対処の仕方は3つのタイプに分かれる”・・・かどうかは知らないが。
 一方、当サイトのネーミングの元『マージナル』では異常な事態が日常と化してる世界。実のところ我々の日常もこれに近いのかもしれない。真綿で締められているような不安にネズのように時々息苦しくなる。だから一緒に夢を見たい、美しい再生の夢を。私にとっては萩尾さんこそが、無限大の力をもった”夢の子供”なのだ。

城野イラスト「異常事態発生」

 

No.11 text:天野章生 illustration:城野ふさみ keyword:小西優里 2000/9/2
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keyword No.12
イエロー

 イエロー。黄色でなく、なぜかイエローである。私がこれを聞いて真っ先に連想するのは「YMO(イエローマジックオーケストラ)」だったりする。既に音楽界では大御所だった3人の雄が組んで、日本にテクノを一気に普及させてしまったユニットの名前である。漢字で書くと黄色魔術管弦楽団。1978年に発足し、1983年に“散開”した。若い人には古く、上の人には関係ない名前だろうが、細野晴臣、高橋幸広、坂本龍一、というこの3人は今なおそれぞれがビッグネーム。中でも特に細野晴臣といえば日本のロックの草分け・伝説的バンド「はっぴぃえんど」でも知られている、簡単に言うと天才だったりする。
 ところで、この音楽界の一人の天才が、実は萩尾さんとも関わりを持ったことがあるのをご存じだろうか?私も実はつい最近まで知らなかったのだが、昨年偶然入手したCDドラマ『マージナル』を聴いてびっくり。音楽が細野さんだ。こんなところで二人の天才がつながっていたとは。これは、NHK-FMで放送されたサウンドドラマを収録したものなのだが、萩尾世界の完成度の高さを思えば、細野さんに白羽の矢を立てた制作者は炯眼と言えましょう。一流には一流を。妥協を許さないで作成されたものならば、メディアを超えることも良し・・なぜか偉そうな物言い・・というのも、紙とペンだけで生み出された作品世界だからこそ、萩尾-読者間の糸は強力で、下手に他メディアで再現された時にはその糸がぶち切られる怖れもあるからだ。実際、私が聴いたCDドラマでも許せない人もいるだろうとは思う。私にはとても良く出来ていると思われたが、まあ、そこは個々人の感じ方、許容量の問題なので、ここでは個人的な感想は置いておこう。
 ただ、他メディアで再現されたものでも、制作者の原作者への愛と共感と深い理解がベースにあれば、丁寧に丹念に創られ、結果としてオリジナルを超えた新しい世界として多くのファンに受け入れられるものになる、これだけは言えると思う。
 そう、なによりも原作者と作家への“愛がなくっちゃ”ね!
 鬼才・野田秀樹の舞台や、美しいと評判の「スタジオライフ」の舞台もきっとそう・・。天才には天才を、一流には一流を、妥協のない世界には妥協のない制作を、ということでイエローから他メディアの萩尾作品、のお話でした、ちゃんちゃん。

城野イラスト「イエロー」

 

No.12 text:天野章生 illustration:城野ふさみ keyword:岸田志野 2000/9/9
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keyword No.13
ロケット

 “ロケットって二つ意味があるよね〜”と出題者はのたまった。
 いわゆるロケット=Rocket と装身具のロケット(ペンダント)=Locket のことである。
 私が子供の頃というと60年代後半〜70年代なのだが、後者のロケットが流行した。マセた女の子達は気に入ったアイドルの写真や、好きな男の子の写真などを入れて大事に胸からぶら下げたものだ。私の5つ上の姉は中学生にして既にお付き合いしてる男子(笑)がいたので、彼の写真を切り抜いて入れていたのだが、その行為は小学生から見ると、とても大人っぽく映った。が、羨ましかろうと小学生の私には無用の長物でしかない。さて、萩尾作品にもこのロケットが出てくる。「すてきな魔法」(1969年)がそれだ。“ボーイフレンドみつけるより奇術のタネをみつけるのがさき!”というアンの胸を飾っているペンダントがロケットだった。BFを見つける、が出てくるあたり、実はそろそろ男の子が気になる年頃の女の子、ということなのだが、このアンが身につけているロケットの中の写真は、かっこいい男の子どころか、身内でもないじいさんの写真だったりする。転校してきたちょっと気になる男の子がこれを見た反応は複雑だった。なぜか? 初期のラブストーリーも萩尾さんにかかると、小道具からして洒落ている、というお話。
 前者のロケットでいけば、「6月の声」(1972年)それから、やっぱりレイ・ブラッドベリのSFを見事に漫画化した「ウは宇宙船のウ」(1978年)を挙げておかなくては。
 萩尾さんが少女漫画を描き出した頃、まだまだSFは少女のモノではなかった。でも恋だけでは物足りない・・少女漫画の可能性を切り開き、宇宙への憧れも柔らかい叙情性を失うことなく描いた世界。女の子は写真入りのロケットを身につけ、男の子は宇宙に飛び出すロケットに心を奪われる。が、憧れはもう男の子だけのモノではない、待つだけより一緒に行けたらもっといい。綺麗なだけではつまらない、もっとわくわくどきどきしたい。だからフロルは言うのだ、「みんないっしょでいいじゃんか!」と。
 萩尾さんのSFではしょっちゅう性が入れ替わる。男or女“らしく”にこだわるよりは、“自分らしく”にこだわりたい、そういうことも萩尾世界からは教わったような気がする。

城野イラスト「ロケット」

 

No.13 text:天野章生 illustration:城野ふさみ keyword:卯月もよ 2000/9/16
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keyword No.14
時

 萩尾作品における【時】の扱いには、ある顕著な特徴がある。それは“繰り返し”である。
 最近、『残酷な神が支配する』を読み返していて、ジェルミが傷ついたレコードのように自らの悪夢を繰り返す、という箇所に行き当たった。心理学でいけば“トラウマ(精神的外傷)”のなせるわざとして現実的な症例に基づいたセリフなのだろうが、この“繰り返し”というモティーフはしかし、これまでの萩尾作品全般において頻繁に顕れている。作品でいえば例えば『酔夢』『マリーン』、クローンを扱ったSF『銀の三角』『A-A'』などなど挙げればきりがない。『酔夢』には“時空間のトラウマ”というセリフまである。『ポーの一族』からして“繰り返す永遠の時を生きる”というテーマではないか。・・・時は巡る、繰り返す、同じ時を・・・永遠に・・・!!
 しかし、繰り返されるのは全く同じ”時”ではないのだ。分かりやすい例で『酔夢』で考えてみる。
 “主人公aがbに出会う、出会う前からaはbに恋をしている、だが、出会った途端aはbの目の前で死ぬ”これをテーマAとした時に、繰り返されるAは例え結末が同じでも様々なバリエーションであり、全く同じではない。(傍証としては『銀の三角』のマーリーのバリエーションを挙げてもいい。)そして結末を変えようとした干渉が入り”主人公bがaに出会う、出会う前からbはaを知っている、だが、出会った途端bはaの目の前で死ぬ”というテーマBに入れ替わり、そしてそのバリエが 続いていく、という構造が『酔夢』だ。
 こうして考えてみて、はた、と気づいた。・・・・これってフーガだ・・・!
 さて、フーガといえばバッハなのだが、萩尾さんがバッハをお好きなことは、作中によく使用されることでも窺える。『残酷な〜』では、例えばナディアとイアンの愛し合う場面に使われているし、クリスマス会にジェルミが聖歌隊で参加する筈だったのは『ヨハネ受難曲』(バッハ)で、これはフーガが重要なモティーフであり内容的にも作品に非常に暗示的だ。わざわざこの曲を(しかもさりげなく)出されてるあたり、創作主の心憎いまでの配慮を感じてため息が出てしまった。推理作家が置いた読者へのヒントのようでもある。
 繰り返される愛と悲しみのフーガは、対位・反復し、時に速く遅く、時にさかさまに、調を変え重なり、無限に上昇あるいは下降、していく・・これが萩尾におけるフーガ【時】。
 そして『ヨハネ受難曲』は上昇の螺旋、の音楽だ・・とすれば、見事に計算された物語の構造は、フーガの中で確実に昇華へと向かっているといえる。萩尾さんの絵を音楽的だと書いたことがあるが、【時】の扱いもまた、音楽的であったことに改めて気づいた。『ゲーデル、エッシャー、バッハ』に萩尾望都!を付け加えたい。

城野イラスト「時」

 

No.14 text:天野章生 illustration:城野ふさみ keyword:小西優里 2000/9/23
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keyword No.15
気まぐれ

 気まぐれと聞いて連想するのは”猫”。我が儘気まま、ふらっと出ていったかと思えば、いつのまにか帰ってきて食事をねだる、愛想をふりまくかと思えば、寝てばかり・・なんて勝手なやつ、でもそこがいいのよ〜というのが猫好きというもの。少女漫画家には、そうした愛猫家が少なくないのだが、かくいう萩尾さんもその一人だ。作中やあとがき等にも猫たちのネタがよく出てくる。初期作品では猫が主役の『クールキャット』。猫たちがまるでエイリアンのように高い知能を持っていて人間達を振り回すコメディだ。そういえば「白ケムシ」(『ストロベリーフィールズ』)というエッセイでは、飼っていた猫のことをあまりに変わっているので”地球の偵察にやってきた宇宙人”ではないかと書かれていた。『赤っ毛のいとこ』ではお風呂に一緒に入っていたり、『この娘売ります!』では3匹の猫たちがオウムのワトソンくんとひと暴れしたりもする。ところで、初期作品に出てくるのは短毛種のネコが多いと思うのだが、比較的近作の『あぶない丘の家』に出てくるエリザベスや連載中の『残酷な神〜』のオクタヴィアンは長毛種のネコだ。萩尾さんの現在の愛猫がモデルなのかなと思うと、少々太り気味なのでは?と気にかかる今日この頃。歴代猫と作品を年代で並べてみる、というのも面白いかもしれない(笑)
 話はまったく変わるが、【気まぐれ】というのは世紀末美術の寵児・ビアズリーの残した2枚の油彩画の表のタイトルでもある。ビアズリーといえばワイルドの戯曲『サロメ』の挿画で一躍その名を知らしめた画家だが、このサロメ、萩尾さんも『ユリイカ−詩と批評− オスカー・ワイルド特集』で描かれているのである(1980年9月号)。先日、卯月が入手したので見せて貰えたのだが、これがまた美しい!(感謝!>卯月)
 「斬首」というモチーフは世紀末絵画ではよく出てくるが、『残酷な神〜』でもイアンがジェルミの首を持っている扉絵というのがある。このネタ、最初はサロメ?と思ったりしたのだが少し雰囲気が違う。どちらかというとキーツの”イザベラとバジルの鉢”の中の、森に埋められた恋人の死体から首を切り落として密かに運び出すというシーンが、この扉絵(13巻55ページ)に符丁している気がする。キーツは作中にも名前が出ていたっけ。・・・まったく何かと意味深であることよ・・・。
 たった一つのキーワードでも、萩尾作品を渉猟すると深い迷宮に入り込んでいく。それがあまりに広くて深くて、いつまでもいつまでもうっとりと迷い込んでいたくなるのだ。そして煌びやかな迷宮は現在もますます広がりつつある。

城野イラスト「気まぐれ」

 

この企画は、字数制限を設定してあるのですが、限られた字数の中にいろんなネタを思いつくままぎゅうぎゅう詰め込んだので、話がどんどん飛んでしまい、省略した説明もあったりして訪問者の皆様には目が回るようで、ご迷惑かけたことと思います。
出来ましたら皆様にも、書いていた私と同じように萩尾世界のあちこちを飛んで楽しい時間を過ごして下さればと思いつつ・・。
拙文を最後まで読んで下さってありがとうございました!!(天野)

 

No.15 text:天野章生 illustration:城野ふさみ keyword:岸田志野 2000/9/30
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