the 10th sentiment
究極の乙女男子~ささやかな幸福~イシノアヤ『椿びより』

最近になって10代の頃のような恋をした。乙女ちっくからは遠いところにきたもんだと思っていたのに、思春期のような頭の中だけの恋情がもてたことが本当に新鮮で、もうしばらくこのときめきを楽しんでいたいと思った。何か進展を望むことがまったくない恋って現実にあるんだ!日常生活を送りながらも10センチくらい足元がおぼつかなくなるような浮ついた気持ちで過ごすのがなかなかに楽しい。そしてこの浮き立った気分はまるで『椿びより』のようじゃないか、と思ったのだった。
この作品の主人公はニット小物などを販売して生計を立てているデザイナー、椿太郎。のんびりしてる割には仕事は上手く回っていて、生活ぶりはきわめて堅実である。女装をしているわけでもないのに外見は"きれいなお姉さん"にしか見えない。ある日道端で椿の頭にマンションの上階から洗濯鋏が落ちてきた。落とし主が謝りに来てみると中学時代の同級生の平岩だった。そこから椿の日常に変化が訪れていく。
そもそも椿は平岩のことをまったく覚えてないくらいだったのだから彼が初恋だったとかいうことでもない。男が好きだというわけでもない。平岩もごく普通に椿を友人の一人として再会を喜び、近くに来たら寄っていけ、というだけの話である。椿は恋愛経験が一つもないようなイマドキの草食系男子で、日々の狭い世界の中で十分に満足して暮らしているのだが、平岩の方は既にバツイチで小さい女の子・史生と二人暮らし。平岩と史生、椿は徐々に家族のように一緒に夕食を食べたり休日を過ごしたりするようになる。そして椿にとってささやかな幸福の積み重ねが描かれていくのである。
道端の可愛い花を愛でる、史生やご近所の小学生達と公園で楽しく遊ぶ、デザインに行き詰ると公園で読書し涙したり、可愛いレインコートを思い切って買ったら雨降りが待ち遠しくてしょうがない。こんな乙女ちっくな生活を一人暮らしの男子がしていて、周囲もそんな椿をごくごく自然に受け入れている。史生と平岩と3人で動物園に行って一緒に手作りのお弁当を食べたり、部屋で3人で川の字になって寝る。その一つ一つにじわっと涙が出るほど感激する椿は、しかし、平岩に性的な妄想など一切抱かない。読んでいて、あー、こんな生活いいよなあーとしみじみと癒される。癒されて始めて自分は日常にそんなに疲れているのかと気づく。これはもうよく出来たファンタジー、現代のなごみ絵本なのだ。そして乙女ちっく漫画からはとうに卒業したつもりでいた私をして、繰り返し読ませるこの完成度。ここまでピュアだと脱帽するしかない。3人がずっと仲良く暮らしていければいいよね、と温かな気持ちになって本を閉じるのだった。
イシノアヤ(いしの・あや)
椿びより(EDGE COMIX)
2008-09『OPERA』 茜新社
| Copyright 2009,10,27, Tuesday |written by 天野章生 |

